※飯伊とは、飯田下伊那の略であり、飯田市と下伊那郡13町村から構成される二次医療圏のこと
飯伊(※)出身の医学生の皆さんへ
1)ウイルス⇒禽獣⇒人類⇒パンデミック時代
人類と禽獣に共通する感染症は、人獣共通感染症と呼称されます。ホモサピエンスが、アフリカからメソポタミアやインダス地域などに出てきて農耕生活を始め、家畜の飼育などにより動物と接触するようになったことで、動物のウイルスがヒトに感染し、ウイルスがヒトの生物学的特性に適応するような変異を獲得したことで、人獣共通感染症が生まれたと推測されています。
例えば、麻疹ウイルスは今から8000年くらい前にヒツジやヤギから、また、天然痘ウイルスは4000年くらい前にウシから、ヒトに感染しヒトに適応してヒトにだけ感染するように変異したと推測されています。エジプトのカイロの博物館にあるラムゼス5世のミイラには、天然痘の皮膚病変と見做される痕跡があるそうですが、天然痘は有史以来、人類を悩まし続けてきました。そして、人類初のワクチンは、牛痘を元にしてジェンナーが種痘として始め、我国でも緒方洪庵などが取組み、ついに1980年にWHOは天然痘根絶を宣言するに至りました。
一方、ヒト以外の哺乳類の間で静かに循環している、少なくとも1万種類ものウイルスがヒトに感染する能力を持っていて、地球が温暖化し人類が新しい生息地に移動することを余儀なくされるにつれて、これらのウイルスが動物宿主から人類に伝染するリスクは、今後50年間で非常に増加するとの研究成果も報告されています。即ち、いともたやすく世界中を移動できるグローバル化を背景に、今の時代は、人獣共通感染症が人類に多大な影響を与える「パンデミック時代」と評する識者も現れました。
感染症は人類誕生以来、変わることの無い人類最大の脅威の一つですが、もはや「パンデミック」は何時でも起こり得る「見えない災害」と認識して、日ごろから備える心構えが人類に求められる時代になったことを、為政者のみならず、特に我々医療者は理解をしなければならないと感じます。
2)2020年3月11日のWHOのパンデミック宣言と後手に回った我国行政府
パンデミックと言う言葉が人社会に定着して3年半が過ぎました。その発端は、WHOのパンデミック宣言でした。
近代史以降で最悪のパンデミックは、1918年から流行したスペイン風邪であり、統計学的集計には時代背景による困難は伴いますが、全世界で約4000万人が犠牲になりつつも3年間で弱毒化したと言われています。更に現代においては、グローバル化と評される飛躍的なアクセスビリティの向上も相乗し、1997年にH5N1型鳥インフルエンザ、2003年にSARS、2009年に新型インフルエンザ(A/H1N1)、2012年にMERSが流行しました。
そして2020年に新型コロナSARS-CoV-2のパンデミックが突発しました。米国史上に於いては、スペイン風邪は最も致命的な疾患と位置付けられていたそうですが、2022年9月20日時点で、米国のCOVID-19の犠牲者数はスペイン風邪を越え、米国史上で最も致命的な疾患に取って代わったとの報告がありました。
数年に1度は社会・経済全体に影響を与える新興感染症の流行が局地的なエンデミックであれ世界的なパンデミックであれ、起きているわけです。それを前提とした公衆衛生政策、医療政策が図られなければなりません。2009年の新型インフルエンザの際は、2010年6月に新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議が報告書をまとめています。PCR検査の拡充などもいわれていますが、当時の被害が大きくなかったこともあり、この報告書は後世に活かされず先送りになってしまった結果、必然的に本邦が今回のパンデミックで学んだことは、事前の準備をしなければ本物の流行が来た時には対応が後手後手になり、社会全体の被害を大きくしてしまうということでした。即ち、ある種の疾病が、人の社会・経済活動全般に多大なる規制的抑制を、それもいつ終わるかの予測も正確には出来ないような条件で起こる、という分析能力が欠けていたのだと思われます。
3)飯田医師会並びに飯伊圏域の対応
事前の準備を怠った国の施策が後手後手になる状況では、国任せではなく、自分たちの地域社会は自分たちで守るとの覚悟を持たなければなりませんし、その意思と活動方針の表明は、こと医療に関しては医療界の調整役である医師会にしかできません。そして活動方針(対策構築)の決定には冷静な科学的分析能力が不可欠です。そこで我々は、米国のジョンズ・ホプキンス大学が2018年にパンデミックを起こし得る病原体の特徴を「GCBR(Global Catastrophic Biological Risk)」として既に定義していて、これが正にCOVID-19を想定しているかのような内容であることに着目し、そのレポートから「オール・ハザード型危機管理」の考え方を学びました。治療法もままならない当時の対策としては「早く見つけて早く隔離」が原則ですが、当地で検体採取をしても当初の検査は長野市にある県環境保全研究所でしか行うことが出来ず、検体搬送に往復5時間以上、結果報告を得るには2日間を要するありさまでした。そこで我々が「オール・ハザード型危機管理」の考え方をベースに成してきたことは、①2020年5月に検査センター(迅速検査部署)の設置により、検体採取から検査結果の報告を同日中に完結すること。②この手法のノウハウを圏域内医療機関で共有し、2020年末までに多くの医療機関で自前の即日検査体制を整備すること。③感染動態の見える化の一助として簡易検査キットを住民に配布する事業(2021年6月から2022年5月まで)を展開すること。④2021年8月には自宅療養者が安心して療養と治療ができる診療体制を整備し、⑤2022年3月には介護福祉施設のクラスター発生に迅速に対応するための協力支援体制をマニュアル化しました。
①と②により、当圏域の人口当たりの検査体制は首都圏を越えました。③は本邦初の試みとなり、後に国も追従する事業を導入しました。④と⑤は本県のモデルとなり県主導の研修会で取り上げられました。
これらの感染症対策の取組は、過去の保健行政並びに医師会事業には比類の無いものばかりであり、この危機管理の過程で学んだことは、正しい情報を論文や世界の先進事例から収集し、迅速で正確な判断と意思決定を行うこと、という事です。このためには、感染症対策のヘッド・クオータである保健所並びに施策の実施主体となる自治体との意思疎通を円滑にし、検査と感染対策に直接係る医療関係者(団体)との信頼関係を構築することが、何よりも重要な要件でしたので、やはり医師会にしかできない意思と活動方針の表明であったと理解をしています。
4)若い世代へのメッセージ
新型コロナ感染症の3.5年間は大変なことであった思います。諸君もリモート授業やマスク着用、行動制限など学生生活を謳歌できなかったことは残念と推察します。
新型コロナ感染症の2020年当初、情報不足の渦中で(実は)ダイヤモンド・プリンセス号からの患者受け入れがあり、3月には当圏域での第一例目の患者発生… 検査体制が全く整わない状況下で、国は保健所の行政検査に拘っていたが、早晩破綻が予想されていた…それ故、我々は自前で迅速検査部署を立ち上げました。
今回、当地域で設置した地域外来検査センターの活動報告をお送りしますが、我々の取組の結果として、他圏域にはありえない傑出した事業の一例となります。
世界で発表される論文や各国の取組を日々見て、考えて、自分たちの地域社会は自分たちで守るために行動することが、地方においてこそ望まれます。
よき医師とは、診療技術だけではなく、社会の為に働く能力も学ぶ必要があると思います。患者だけではなく、社会へも働きかけていけるような医師になってもらいたいと思います。また、このような働き方ができることが、地方で働くことの価値ではないかと思います。
当地域は、それが出来ることを力強くお伝えしたいと思います。
5)最後に、若い世代へエール
皆さん方がお持ちのiPodやiPhoneを開発したアップル社の創業者で世界最高のイノベーターと称されたスティーブ・ジョブズと言う方を御存じでしょうか。ジョブズ氏は、膵臓の神経内分泌腫瘍という比較的稀な病気を患い2011年に、56歳という若さで亡くなってしまいました。今回、私はジョブズ氏が2005年にアメリカのスタンフォード大学の卒業式で行った、今も語り継がれる伝説とまで言われるスピーチの一部をご紹介したいと思います。
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Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do.
君の仕事は、君の人生の多くの部分を支配することでしょう。だから、本当に満足する人生を送る唯一の方法は、自分の信じる最高の仕事に就くことです。そして、その最高の仕事をする唯一の方法は、自分のしている仕事を大好きになることです。
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つまり世界最高のイノベーターと称されたジョブズ氏は、本当に満足する人生を送る唯一の方法は、自分のしている仕事を大好きになること、と伝えたかったのだと思います。自分の仕事は何を選んでもいいのでしょう。だけど、決めたらブレないで、トコトン好きになれなければ、満足する人生は得られません。
そして彼が、スピーチの最後に、卒業生に送った言葉は、
Stay Hungry. Stay Foolish.
ハングリー、貪欲であり続けなさい、フーリッシュ、バカであり続けなさい。
とても短い最後の言葉です。Stay Hungry. Stay Foolish.
この短い言葉で彼が伝えたかったことは、もし君たちが仕事で成功したければ、貪欲なほどに探求心に眼を輝かせて、バカが付くほど仕事に打ち込め、ということだと思います。ちなみに、まだ学生である皆さん方に対してなら、バカが付くほど勉強に打ち込め、ということかもしれません。
Stay Hungry. Stay Foolish.
私も、この言葉を知ってから、ジョブズ氏と同様に私自身もそうありたいと願ってきました。そして今、次の時代を担う皆さんに、同じ言葉をお贈りし、皆さん方の大願成就を心からお祈りいたします。
Stay Hungry. Stay Foolish. I wish that for you.
令和5年4月吉日
飯田医師会長 原 政博