※飯伊とは、飯田下伊那の略であり、飯田市と下伊那郡13町村から構成される二次医療圏のこと
飯伊(※)出身の医学生の皆さんへ
「ヒポクラテスの誓い」は聞いたことがあると思いますが、紀元前5世紀の古代ギリシアで編纂された医師の職業倫理にまつわる宣誓文であり、World Medical Association:WMA(世界医師会)の第2回総会(1948年)では、その現代版としてDeclaration of Geneva;DoG(ジュネーブ宣言)が採択されました。何度かの修正を経て、第68回WMA総会(2017年)ではシカゴ改訂 DoGが採択されています。その冒頭部分を引用します。
The Physician’s Pledge
As a member of the medical profession:
I solemnly pledge to dedicate my life to the service of humanity;
また、現代の医学教育の基礎を築いたウイリアム・オスラー先生(William Osler, 1849年〜1919年)の名言も一つ引用してみます。
Medical is not just handicraft but art. It is not a business but a vocation. In other words, it is a royal task that requires head and mind to work equally.
世界中のどこに居ても、医師とは高貴な伝統を有する最も古い専門職であり、その責務は全身全霊をもってしての人類への奉仕です。近い将来、皆さん方は、その一員になりますが、心構えとして、とても共鳴できる言葉をお示ししたいと思います。アップル社のCEOであったスティーブ・ジョブズ氏(Steve Jobs, 1955年〜2011年)が、2005年にスタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチから引用します。
Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do.
世界で最もイノベーティブな経営者の言葉は、医師を天職と(しようと)する我々にとっても心に響きます。最後に、2009年に行われたオバマ大統領の就任演説から引用します。
On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord.
人類史上初となる黒人の米国大統領の誕生は、世界中の人々に希望をもたらしたと思います。米国だけではなく、我が国にとっても、飯伊にとっても、克服しなければならない難題は少なからず存在します。例えば、国連は2015年にSustainable Development Goals (SDGs)を発表し、今後の世界目標17を掲げました。その中の一つが SDG11: Sustainable cities and communities です。
飯伊は、長野県下にある10の二次医療圏の中でも特筆すべき特徴を有しています。面積(1,929km2)は最大、自治体数14は最多、人口は下から3番目に少なく、また、医師偏在指数(2019年発表)は下から4番目に少ない医療過疎地でありながらも、乏しい医療資源を効率的に運用するシステムを医師会が主導して構築してきた結果、医療の域内完結度は最高で、同時に一人当たり医療費(2014年)は下から2番目に低く抑えられているという我国の雛形的な医療を展開しています。しかしながら、当圏域の持続可能な発展にとって最たる難題は、実は近い将来に迫り来るであろう「医師不足」なのです。医療は、最も基本的な社会基盤の一つです。地域社会の中に箱物が豊富にあったとしても、医療が機能していなければ人は住めません。医療機関がなくなると人口流出が始まることも証明されています。
ところで、当圏域には、2027年にリニア中央新幹線が開業を控えているという大きな希望もあります。飯田から東京と名古屋(品川駅−飯田駅−名古屋駅)への所要時間は各々30分程度となり、2大メガリージョンの中間駅として理想的な地理的条件を背景に、国内だけではなく海外からも注目を集める可能性を秘めています。新たなイノベーションの創設やインバウンドの増加など、大きな夢を語るに尽きない地域なので、これからの時代を担ってゆく若い世代の皆さん方が、当地で希望に満ちた社会を、今回ここに引用した言葉を念頭に置いて、我々と共に作っていく夢を抱きたいと思います。

令和2年3月吉日
飯田医師会長 原 政博